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日々の暮らしの中で

摂食障害(拒食症)2019年

2019年9月(当時高1)、神経性瘦せ症(摂食障害・拒食症)と診断されました。
忘れないうちに当時のことを記録していきます。


2019年3月
推薦で高校が決まり、事前準備のために学校の説明会に参加していました。
運動着、制服、靴などの採寸や購入があり、指定品をどんどん購入していきました。
帰り道「スカートから足が出るのが嫌だ。足が気になる。」という発言。
これは少し前からも同じようなことを言っていて、正直またか…と思いましたが、あまりにも思いつめたように言うので、そんなにスカートが嫌ならスラックスにしようか?と言うと「一人だけズボンだと目立つし…」と返されました。スカート丈もそんなに短くはしていないし、嫌ならハイソックスを履けばいいしということを言った記憶があります。なんでそんなにスカートが嫌なのだろうか、私には全くわからず、学校で指定されているものだからしょうがないじゃないかという気持ちもありました。思えばこれが長女の不安の表れでした。学校に行きたくない・行けないのではないかという気持ちが、足が気になる、というものにすり替わっていました。おそらく本人もその自覚はなかったと思われます。


どうしてこの高校に決めたかというと、通学が近い、旦那が気に入った、推薦の条件をクリアできたからです。
最後の内申点にかかわるテストで高校の推薦条件をクリアし、この条件ならここに行けるよ!進学校だし成績が悪くてもエスカレーターで大学に行けるし、というのが「親の理由」でした。そのままトントンと話が進みましたが、ふと、推薦で高校に行くことがよくないのでは?と頭をよぎりました。思い返すと夏の三者面談では「この高校は難しいよ…」と担任に言われていたのに、最後にいい成績をとったことで担任も「この高校はいいよ!」と180℃方向転換され、私たちもその気になって進めたのですが、長女の気持ちは一切無視していました。本当にここでいいの?と私が聞いたとき、いいよと答えた長女ではありましたが、それは親がこう言ってほしいからというのから出た発言でしたが当時はそんなことは全く思いませんでした。行きたい高校をなかなか選べず、学校見学も私が通学に近いところを選んでここはどう?と聞いて予約もすべて私がしていました。悩んでいても時間はどんどんたつし、正直私は焦っていました。なので推薦でいくと決めたときはほっとしました。推薦が合格してからも不安だ、、、やっていけるのかな、、、常に不安そうでした。でも私たち親は行けば慣れるしなんとかなるよ、常に100%ではなくてもそれなりにやっていけば、卒業できればいいんだしと本人の気持ちに寄り添うことはできませんでした。私が何度か夫に相談はしましたが、「大丈夫だって」の一言でそうだよね、大丈夫だよね、ただ心配なだけだよねと深く考えることを放棄しました。あまりにも不安な気持ちを出すので最初は優しく諭していた旦那も最後にはキレてしまいました。(のちにこの発言にすごく傷ついたと言っています)

このころから高校生になることはとてもハードルが高く、さらに本当は行きたくない学校に行って、やりたくない勉強をしなくてはならないと、心が拒否していたのだと思います。でもその自覚は当然本人にはなく、親である私たちも察してあげることもせず、ただ流れに身を任せて進んでいきました。


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